夜の旅、その他の旅

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国吉康雄展+神保町

CHIKAKO2004-05-02

昨日は国立近代美術館でやっている「国吉康雄展」に行った。
母親が近代のアートが好きなので誘われたのだった。
この竹橋の美術館はわたしのルーツのような所で、13才の時に初めて来てから用がなくても一人でも(常設展示を見るだけでも楽しい)、今まで何回来たかわからない。
神保町に寄るついでの事もあったし、武道館に行く前にフラッと来たこともあった。

子供達もすごく小さいころから美術展に連れ歩いている。
基本的にはもちろん自分が見たいものに連れていくのだが
彼女達の好みも考慮して興味を持ちそうな作品をクローズアップしてやる。
そのせいか、「帰りたいー」とか言ってうるさくした事は
幸い一度もない。
というか最近では彼女らの方が絵描きなので
絵から引き剥がして連れて帰るのに苦労する。
12才の次女と8才の三女が特にジックリと見るタイプで、
どうも描き方までチェックしているようだ。

ここ何年か似た様な親子連れをよく見かける。
特に近代美術館は子供の鑑賞客を大事にしてくれていて、
今回も小学生と中学生(二人とも無料なのだが)に「子供のための鑑賞ガイド」をくれた。結構渋い絵描きなのだが、
まあ、こどもにはそういう固定観念は関係ないしね。

で、この国吉展は、とてもよかった。
魂を持っていかれるとかのインパクトはないにしろ、
ゴッホみたいな技工上の変遷が極端でとても面白い。
例えて言えばフリートウッドマックみたいな画家だなあと思った。
初期はフォークアートに影響を受けた、素朴かつ、エキセントリックな画風。
解説と本人のインタビューによれば、
自分の最初に影響を受けた絵は掛け軸である。
掛け軸の多くでは遠近法は遠くにあるものは上に、
近くの物は下方に描かれる。
なので普通に使われる遠近法は初期の作品では出てこずに
ベターとした空間に様々な大きさの物が描かれている。
上の牛小屋は遠くにあるもの
下の方の草や家は近いもの。
バナナを盗もうとしている赤ん坊の絵では
窓の外の風景もテーブルもバナナのはいっている果物用の陶器の皿もユガミまくっている。

わたしは後期のカラフルな画風よりも中期の物を積み上げまくる事にとりつかれた静物画が一番興味深く思えた。
彼は17歳でアメリカにわたり、戦中戦後を通して収容所に入れられたりしながらも(例のマッカーシー旋風-赤狩りの犠牲になったらしい。収容所を出るのに尽力したのは美術学校の教え子達だったという。とてもいい先生だったようだ)ずっとアメリカにいたひとで、
何度か故郷の岡山に帰ってはいるがそのたびに「私はもはや日本人の感性はありません」(日常に関して)と思ってしまったらしい。
妻のサラさんと(オーソドックスに美しい人だ。画家の奥さんにしては珍しい(失礼!))ウッドストックに住み、写真もたくさん残している。
1930年代のウッドストックは既に芸術家がたむろする所だったというのも発見だった。
写真や絵に残された家具や食器の類いが非常に興味深かった。

近代美術館の閉館時刻になり、神保町の古本屋へ向かう。
母がお茶したいと言うのでドトールへ寄り、
神社のお祭りのお神輿を横目に長女と次女のために日曜日でもやっている希少な映画系の本屋へ向かう。
そこで欲しいものがあったが、3500円なのでやめておいた。
長女がDisc Unionに行きたそうなのでちょっとだけ寄る。
末っ子を連れて地階のRockのコーナーに行くが何も買わずに帰る。
Bodicious DFが¥2300だった。

家に帰るともう9時だった。
ナスとトマトとツナでスパゲティを作り、シャワーして就寝。
明日は仕事。