夜の旅、その他の旅

持ってるレコードとか日常とか。

Monday,Monday

ここ何日かは「ハ?ふざけんじゃねえよ?」というような事が続いて
なかなか文章を書く気持ちになれなかった。
それに加えてものすごく忙しい。
さらにショックな事に何げなく血圧を計る機会があったら
上はともかく下の数値が100を超えていた。
いやだなあー。一気に年寄りな気分(ホラ、おばあちゃん、落ち着いて)。
電車の中で小学4年くらいの子供達がものすごくデカイ声で
英語で会話していた。ときたま同じ内容を日本語で繰り返す。
周りの大人達は鼻白んでいたが、私は何だか懐かしかった。
私の行った高校は三分のニの生徒が帰国子女という学校だった。
そこでもやはりこういう子がいっぱいいて、入学当初は
なんで日本語がしゃべれるのに英語で喋るの?なんてきいたものだった。
だいたいは日本語よりも英語で喋るのが楽な子供達が
日本にかえって来たというだけで日本語で喋る事を強制され、
そのイライラを英語で喋る事ができる友達と一緒に公衆の面前でベラベラと話す事で解消しているらしかった。
ウワー、気の毒だなあ、と当時は非常に同情した。
たいてい、親の仕事でアメリカにいったこどもは現地の学校へ入るらしい。
東南アジアへ行く子は日本人学校やインターナショナルスクールへいくことが多いようだ。
アメリカへ小さい時からいった子は家以外で日本語を話す機会があんまりないので自然と英語が母国語になるらしい。
外国から直接高校へ来る子は稀で、たいていはその前に日本の公立中学ヘ行く事になる(学期の終わりも違うから一年年上になってる人も多かった)。
ニホンノコウリツチュウガクニ、エイゴデシカジブンガダセナイニンゲンガマザル。
 考えただけでも気の毒ではないか。
私のように日本の学校にしかいった事がない生徒の大部分は、みんな最初はゲエといっていたがそんな事情を理解するにつれ、友達の痛みを理解するようになっていった。
そしてもっと気の毒なのはフランスやインドやオーストラリアからの帰国のひとたちで(ドイツは日本人学校での補習が充実していたようで、言語で困っている人はあまり見かけなかった)、
日本語も現地の言語もあんまり得意ではないというひとたちだ。
校長もこのタイプだった。
母校の近くで毎年「はらっぱまつり」という地元教育委員会認定の
ヒッピー系(こう言ったのは私ではない)お祭りがあるのだがもう5年くらい行ってない。行けば誰かしら知ってる人にあうので、毎年行こうと思っていて忘れてしまう。今年は行きたいけど、酔っ払いが多いのが難点。
China Catsはでるんだろうか。
昨日今日と橋本治を読む機会があったのだが、
やっぱりスゴイひとだ。
何だってそんな事があんたに解るのよ?というような細かい描写が続き、
それが実に正しく、さらにいろんな人々についてそれがなされるのでびっくりするばかりだ。
想像力なのか、超能力なのか。編み物が趣味だというのが秘密なのか。
前の日記が10月2日にごっそり移転してくるという知らせがライコスからあった。実はエンピツに移動したのは下書きで、たりないところは適当に加筆修正した。なので画像が出てなかったり、以前と違ったりしているはずです。
もしも読んで下さった方で「ンッ?」と思った方がいらしたらすみませんでした。
次回は久々にJefferson Airplane普及委員会とVinyl From Myを書く予定です。